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内田春菊の生い立ちや若い頃。子どもや過去の結婚/離婚/妊娠歴が凄い

内田春菊さんは壮絶な人生を歩んでこられたことで有名な女性漫画家です。

女性の中でも性に特化したエッセイと、

特有のストレートな物言いにファンの方も多いはず。

そんな内田春菊さんの生い立ちを詳細に深掘りしてみましたのでご覧ください。

【性的虐待描写、胸糞注意】

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内田春菊さんのプロフィール

生年月日:1959年8月7日

出身:長崎県長崎市

仕事:漫画家、エッセイスト

 

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内田春菊さんの壮絶な生い立ち

 

幼少期

ホステスの母と、DVを繰り返す夫の間に内田春菊さんは生まれました。

 

実父は生活費を家に入れないため、実母は生活費を入れる養父を迎え入れます。

 

養父とは、養子縁組をした父親。

養子縁組をしていない父親は継父。義父は血の繋がっていない法的な父親

 

養父には別の奥さんがいて、実母は内縁状態だったそうです。

 

 

小学校時代

小学校の時に漫画に興味を持ち、

子どもながらに漫画を描いていましたが、実父と養父に描くことを禁止されていました。

 

禁止されていたことから、見つかりにくい豆本漫画を隠れて描いていたと言います。

 

小学校高学年になってくると、養父から「色気づいている」「不良の芽がある」

と言いながら体を触ってくるようになります。

 

 

中学校時代

家庭環境が複雑で、家に居場所が無かった春菊さんは

なんでも気軽に話せる男友達が学校に出来ました。

 

しかし、避妊の知識が無かったために同級生との子どもを身籠り、中絶します。

妊娠6か月目での発覚でした。

 

さらにそのことが原因で養父からさらなる性的虐待を受けるようになります。

 

実母も性的虐待を把握していたようですが、

実は”儀式”とされる行為の準備を実母がしていたそう。

 

実母は養父を愛するあまり娘よりも男を取ってしまったようです。

 

この時、養父からしてみれば「色気づいた娘に誘惑されている」という立場で

実母に認識されていたかもしれません。

 

他にも

  • 「降ろすのに医者も嫌がるだろう」
  • 「彼氏のことを考えさせないために」行為に及ぶ
  • 養父が「つついて」子どもを降ろさせる

などなど意味不明すぎる言動の数々。

 

ちなみに養父のは極小だったとか。

 

相手の同級生は妊娠発覚後に転校してしまいました。

 

 

高校時代

養父からの性的虐待が耐えきれずに高校一年生の夏の午前4時、

高校の当時の授業料(3600円)と描いた漫画を持ち出して家出します。

 

そのことによって高校は退学させられました。

 

地頭は良かったのと、心理学にも興味があったので

慶應義塾大学通信教育課程を受講しますが1年目で退学しています。

 

ここまでの生い立ちは

『ファザーファッカー』

でさらに詳しく知ることが出来ます。

 

退学後は上野高校の夜間か通信を卒業していると推測されます。

 

 

出産後からデビューまで

家出後上京し、

写真植字

  • 印刷会社の写植
  • バーのホステス
  • 喫茶店のウェイトレス

など数々の仕事で食いつないでいました。

 

1982年・24歳頃のウェイトレス時代に内田春菊さんの方から

秋山道男さんに声をかけました。

 

 

秋山道男(1948年9月29日 – 2018年9月19日)

19歳で芸能プロダクション入りして助監督などの裏方や秋山未知汚名義で俳優業へ、

  • 『性遊戯』(1969年)
  • 『性賊 セックスジャック』(1970年)
  • 『愛欲の罠』(1973年)

などに出演でアングラ系の人々と親交がある。

 

政治色が強くなった芸能プロダクションを辞め、放送作家として活躍。

採用した劇団に加入し、劇団員になったり、美術やデザインなどもこなしていた。

このころは「路上テキヤ」で生計を立てていた。

 

1976年頃劇団員時代に知り合った人物からカネボウ化粧品の広報誌『BELL』の編集長に紹介され

「産休を取るから編集長になってくれ」と依頼を受け、いきなり編集長となった。

すぐに無くなったが編集のノウハウを学び、1978年に編集事務所を設立。

 

1995年に『ファザーファッカー』が映画化された時に養父役として出演するなど

内田春菊さんと親交が深く、これがきっかけで俳優としても再活動をしていた。

俳優⇒放送作家⇒劇団員⇒編集長⇒俳優という異色の経歴

 

 

当時編集長だった秋山さんが「面白い子だ」と認め、

ペンネームを「春菊」に命名。

 

その後いしかわじゅんさんが個性を認め、

紹介によって双葉社発行の『小説推理』に掲載された『シーラカンスぶれいん』で漫画家としてデビュー

 

 

いしかわじゅん(1951年2月15日 – )

明治大学で漫画研究会に所属。

トヨタ自動車で生産管理部に配属も会社勤めが合わず退社。

現、ぶんか社への持ち込みで1975年に漫画家デビュー。

 

作品の多くは短編ギャグ漫画。下ネタも好き。

漫画評論家としても活躍し、特徴は

  • 「うまいヘタ」をハッキリさせるタイプ
  • 暴言や断言が多く、良く言えば率直、悪く言えば人を傷つけやすい
  • 評論の仕方は論理的ではなく、天才肌。
  • 「いしかわは優れた指摘のできる人物」とも評される。

 

現在は毎日新聞で『桜田です!』を連載中

 

 

漫画デビュー後のバイオグラフィー

 

 

内田春菊さんの仕事

クラブ歌手だった経歴を生かし、

1983年・24歳頃にラテンバンド「アベックス」を結成しボーカルを務めましたが他が忙しく休止。

 

1990年・31歳頃からは映画に出演。

 

1993年・34歳頃に発表した初めての小説『ファザーファッカー』は第110回直木賞の候補作のベストセラーとなり、

1995年・36歳頃には映画化され、他のテレビドラマ作品などにも出演するようになります。

 

その間にもエッセイや小説を書き上げ、数作品賞に輝いています。

 

2010年・51歳頃から音楽活動を再開し、自身が監督を務める映画の主題歌を作成。

 

とてもマルチな才能を発揮しています。

 

内田春菊さんの子ども(息子、娘)

内田さんは4人の子どもがいます。

 

長男(α):在波(あるは)さん(1992年11月20日・春菊さんが33歳の時)

長女(β):紅多(べえた)さん(1997年03月13日・春菊さんが37歳の時)

次女(γ):紅甘(ぐあま)さん(1999年12月29日・春菊さんが40歳の時)

二男(δ):出誕(でるた)さん(2002年02月23日・春菊さんが42歳の時)

 

長女、次女、次男は3学年づつ離れており、

入学式や卒業式が被っています。

 

次女の紅甘さんは子役として2007年から芸能活動をしておられます。

 

内田春菊さんの夫や妊娠歴

内田春菊さんは3度結婚しています。

 

公表値では妊娠歴11回、流産1回、出産4回、中絶(推定)5回となっています。

 

 

1番目(20歳頃)の夫はサーファー(レーサーとも)と言われていて、

妊娠もしたそうですが「まだやりたいことがある」として中絶。

 

夫のDVが原因で離婚しています。

 

実は「内田」姓は1番目の夫から。

 

実父と実母は入籍しておらず、別姓だった可能性もあり、

考えられるとすれば母親の姓を結婚前は名乗っていたはずですが公表されていません。

 

 

2番目(33歳頃)の夫は春菊さんのマネージャーをしていた方で、

ほとんど専業主婦をやりつつ春菊さんをサポートしていたそうです。

 

第一子を作ったのは「自分が死んだら遺産が母親に行ってしまう」という理由。

 

33歳に在派さんが産まれていますが、

実母とは27歳の時に絶縁したのも影響しているのだと思います。

 

 

春菊さんが家出後に養父の奥さんが亡くなられ、

実母は養父の奥さんとして正式に迎えられると思っていましたが見捨てられます。

 

実母は文字通り捨てられ、”悲劇のヒロイン”として春菊さんの元へ。

 

  • 漫画で儲けているのだから私を養うのは当然
  • 昔からお互いに支え合って生きてきた
  • 自分は働かない

という立場でいたので縁を切ったという背景。

 

 

ただ、子どもはマネージャーの子どもではありません。

 

当初はマネージャーと結婚する気はなく、妊娠するために漫画家の男性に

「認知もいらない、一人で育てる、アメリカに行って産む、絶対に世間にはバラさない」と説得しました。

 

が、

【計画妊娠】と騒がれたそうです。

 

どうでもよかった結婚ですが、広まった以上どうしようもなく、

「妊娠したので『礼儀として』あたしと結婚しなよ」と漫画家に申し込みますが拒否され

  • 男性漫画家の彼女に電話
  • パーティの席で「妊娠しました。相手は中村」と宣言

という荒業に出ました。

 

結局結婚することは出来ず、同棲していたマネージャーに結婚を提案。

出産後にマネージャーが在波さんを認知して結婚に至ります。

 

元マネージャーさんとの結婚期間中に2度妊娠し、

1度目では流産、2度目では第二子の紅多さんが産まれました。

 

 

38歳以降は3番目の夫と不倫をし、妊娠。

 

2人の子どもとお腹の赤ちゃんを連れて家を出て、

元マネージャーと離婚協議に入ります。

 

当然元マネージャーは第二子・紅多さんの親権を要求し、

いざDNA鑑定するも自分の子ではないと判明。

 

春菊さんは2番目の夫に対して慰謝料を支払うことになります。

 

1999年に第三子の紅甘さんを出産し2番目の夫とは離婚成立。

 

2番目の夫に対して春菊さんは「ヒモのくせに今も私から慰謝料取ってる」

 

 

3番目(40歳頃)の夫はご存知、俳優の貴山侑哉さん。

2000年に籍を入れ、2001年に挙式をしています。

 

2002年には第四子の出誕さんを出産。

 

その直後から貴山侑哉さんのご両親との関係が悪化し、

離婚して籍を抜きましたが貴山侑哉さんとの関係は良好で事実婚状態でした。

 

2011年まで同居していましたが破局。

 

第三子、第四子はDNA鑑定をしていませんが、

おそらく貴山侑哉さんとの子どもでないかと言われています。

 

春菊さんは「3番目の夫なんか明らかに最初からヒモ」・・・と

 

 

まとめると

  • 1番目の夫=サーファー
  • 2番目の夫=元マネージャー
  • 3番目の夫=貴山さん

 

  • αさん=漫画家との子ども
  • βさん=不明
  • γさん=貴山さんとの子ども
  • δさん=貴山さんとの子ども

ということになります。

 

 

春菊さんのその後

2012年、貴山さんとの破局後は17歳年下の当時35歳の男性とお付き合いしていたそうです。

 

子どもも公認のようで、長女の紅多さんは

「かあちゃん、また春だね」と言っていたとか。(笑)

 

 

2015年には大腸がんだということが発覚します。

 

手術で肛門を切除し、人工肛門となります。

 

長女の紅多さんは大腸がん摘出手術に際して

「かあちゃんじゃなくなるわけじゃない」

人工肛門の替えパウチを持ち歩くことに対して

「生理用品を持ち歩くのと同じ」

と、春菊さんを精神面で支えてくれていました。

 

しかしガンによって春菊さんは「セックスと恋愛はもうしない」と発言しています。

 

セックスはもとより恋愛については

人間関係によるストレスを受けたくないからだとか。

 

ガンの大敵はストレスとも言いますしね。

 

今までの男は全員私よりも金に目が移ると話していて、

恋愛相手がヒモにならない確証が無い=なら恋愛はいいや

と言う感じとのこと(笑)

 

現在はガンに関する漫画やエッセイ、公演中心に活動しておられます。

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最後に

いかがでしたか?

 

かなり破天荒で壮絶な人生だったと思います。

 

自分の思ったことを貫く春菊さんは我々の想像を余裕で超えてきますね。

 

創作に携わる方は言うなれば”ぶっとんだ”才能があれば

一気に突き抜けられるのかもしれません。

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