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カルロス・ゴーンの生い立ち。ミシュラン時代の詳細経歴や実績年表

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カルロス・ゴーン

生年月日:1954年3月9日

国籍:ブラジル・フランス・レバノン

出身:ブラジル、ポルト・ヴェーリョ(Porto Velho)

 

祖父がレバノンからの移住者で。

 

その息子もレバノン出身の女性と結婚し、

ゴーン氏が生れました。

 

ということでゴーン氏はレバノン人ということになります。

 

 

幼少期

ゴーン氏はブラジルで生まれてから6年間過ごし、

祖父の故郷であるレバノンへ移住します。

 

レバノンではイエズス会の中学校で学ぶことになり、

ゴーン氏はこの中学校での生活が挑戦と競争の世界へ導いてくれたと話しています。

 

イエズス会(イエズスかい、ラテン語: Societatis Iesu)は、キリスト教、カトリック教会の男子修道会。

 

その想いから高校はフランスのパリ国立高等鉱業学校を選択します。

 

パリ国立高等鉱業学校(パリこくりつこうとうこうぎょうがっこう、École nationale supérieure des mines de Paris)は、フランスのグランゼコールの一つであり、様々な工学分野の技術者を育成する教育機関である。

グランゼコールとは、フランス社会における独自の高等職業教育機関である。大学のような教養としての学問や教育ではなく、社会発展に直接寄与する「高度専門職業人の養成」を理念とした学問の普及と教育を行っている。入学難易度は米国のトップ大学群、アイビー・リーグに匹敵すると言われている。

 

 

ミシュランでの活躍

1978年、高校卒業後はミシュランで将来的に経営に関わる人材として雇われることになります。

(ちなみに祖父はブラジルでゴムや航空関係の会社の役員。)

 

1981年にはフランスにある工場の工場長に任命され、

1984年には農業用タイヤや建設現場での研究開発などを行う部門長に、

 

1985年、丁度その時、南米ではメキシコの金融危機が直撃しており、

多くの債務危機を抱える企業が社会問題となっていました。

 

ミシュランもその企業の一つで、南米に精通していたゴーン氏が

南米大陸地方の経営幹部に任命されます。

 

そこでの改革が、2つの大きな工場の閉鎖や直轄管理チームの創設などなど。

 

およそ2年間で収益をプラスに持っていく手腕を発揮したことが評価され、

1989年には北米ミシュラン会長兼最高経営責任者に就任します。

 

 

ミシュランへ入社してから約20年後

1996年、ルノーの副社長に迎えられます。

 

1993年にはルノーとボルボとの合併が計画されますが、

フランス政府側の過剰な干渉にボルボ経営陣側は態度が硬化。

 

合併は白紙になり、ルノーが民営化に移った直後に副社長になったのです。

 

就任直後は約6億円ほどの赤字。

これを1998年には数十億の利益に回復させる計画を発表し、

徹底的なコスト削減、労働改革、様々な厳しい設定を実行に移すことになります。

 

 

1999年にはルノーは日産の約40%弱の株式を保有し、

1999年6月に最高執行責任者(COO)として日産に入社

2000年には会長。

2001年には最高経営責任者に任命されます。

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不祥事

・不正内容

・事実上の日本VSフランス

などの内容をまとめています。

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